2011年1月25日火曜日

あけましておめでとうございます!(3)

「あけましておめでとうございます」

「あけましておめでとうございます(2)」の続きです。


新年のあいさつをタイトルに冠するには、

時期的に限界が近づいていますね。。笑

急ぎます。。笑



大阪メロンさんでのDJを機に、

DJとして打ち出していくべきスタイルが明確になった僕は、

以前から“うちでイベントしない?”

と声をかけていただいていたお店にたいする答えも、

明らかになりました。


そう、YESです。


けれど、準備はここからです。


スタイルは決まったものの、

内容に関するコンセプト/テーマ、タイトル、頻度…

考えるべきことが、山積していました。


しかし、

イベントをスタートする時期は決まっていなかったので、

じっくりと練っていきました。


すると、

スタイルに確信を得たのと同じ3月に、

digmeoutでのDJイベント「CAP.NOTE」に招聘していただきました。


マスター、フルタニさんからのご指名でした。



話が前後しますが、

フルタニさんとの出会いによって、

僕は、編集の世界に入ることができたのです。


もう、5年以上も前の話になります。。


フルタニさんは、クラブ・ミュージックに限定した

フリーペーパーとサイトを立ち上げようとしておられました。

そこで、ライターが必要となります。


そんなとき、フルタニさんが、

ご自身が立ち上げのときから関わっているイベント、

「Freedom time」に長年(1999年から!)足を運んでいる、

この僕を起用してくださったのです。


しかし、ただ単に、

お会いして、“やろう”となったのではありません。


そのときに、お見せしたテキストがあったのです。

それを見ていただいて、“おもしろいやん”と評価していただき、

媒体に参画することになったのです。


沖野修也さんによる架空のサントラ作品「BLACK FINGER」や、

Mondo Grossoの限定DVD「ヨーロピアン〜 」のレビュー、

吉澤はじめさんへの取材などなど。。


まさに、

僕の特性を活かすことができるお仕事をさせていただきました。

どれもが、刺激的な活動でした。


しかし、

最も刺激を孕み、歴史的であったのが、

フルタニさんにお見せしたテキストを制作するための

取材でした。


それは、

我が音楽の師匠・Kyoto Jazz Massiveの沖野好洋さんへの

インタビューだったのです。


僕は、

フルタニさんが媒体を作ろうとしておられることを

まったく知りませんでした。


なので、このタイミングは、

偶然なのです。


僕は、そのときに通っていた、

ライター養成スクールで課された宿題:インタビュー記事の制作

に取り組もうとしていました。


その記事は、

スクール生全員のものがまとめられ、

冊子になり、

来校している講師の方々=現役のエディターたちの手に渡り、

様々な人の目に触れることが約束されていました。


取材対象者のことを

たくさんの人たちに知ってもらえる絶好の機会。。

僕は、好洋さんの存在を少しでも広めたいという想いから、

インタビューを申し込むことを決意したのです。


しかし、ライターとして、まったく経験のない僕が、

いきなり取材をお願いして、

受け入れらるのか。。


緊張と不安が

身体の隅々まで支配しましたが、

思い切ってメールを送りました。


すると、すぐに返信が。

そこには、“お願いします”と。


すぐさま、

質問の準備に取りかかりました。


最も尊敬するアーティストですので、

聞きたいことが多すぎて、懊悩しました。


このことを聞こう。

じゃあ、まずこのことを質問しなくては。

ということは、ここも聞き逃せないな。。


思いつくままに、質問項目を作成。

そして、取捨選択。


たぶん、1週間くらい要しました。笑

時間かかり過ぎですね。笑

しかし、とにかく必死だったのです。。


そして、インタビューした結果。。

2時間半も経過していました。。笑

聞き過ぎですね。笑

言うまでもなく、必死だったのです。。


でも、無事、お話を聞くことができたのは、

すべて好洋さんのおかげでした。


一言一句を記憶してはいませんが、

若輩者の僕のことを、

それはそれは、あたたかく迎えてくださったのです。


ボイスレコーダーが、

声を読み取りやすいように配慮してくださったり、

時間が長くなると、

場所を変えていただいたり。

僕の質問がコアなため、

答えるに時間がかかりそうなときは、

「レコードでも見といて」と声をかけていただいたり。

(会場は、ESPECIAL RECORDSでした。)

ほんとうに、よくしていただきました。


先ほど、

詳しくは憶えていない、

と書きましたが。。


実は、このときの模様を、

カセットテープに記録し、保管しています。

ただ、いま聴き返す勇気はないです。。笑


そんな、

師の慈愛によって実現したインタビューを

今度は記事にしていきます。


これが完成するまでには、

1ヶ月以上が経過していたように思います。

必死すぎたのです。笑


時間を見つけては、

図書館、カフェに足を運び、

執筆を進めていきました。


繰り返しになりますが、

僕は、前出の冊子に掲載することを想定して

この取材を行ないました。


しかし、

文字数が多すぎて、

載せることが不可能になったのです。。


でも、

完成した記事を好洋さんにお見せしたくて、

そして、様々な人に読んでほしくて、

自身で冊子を作成しました。


その存在が、

先述の、フルタニさんが抱いておられた構想と

結びつくのです。


「何か、書いたものとかあるの?」

とフルタニさんに聞かれたとき、

僕は、手にしていた冊子をお渡ししました。


そして、“おもしろいやん”との感想をいただき、

媒体作りのメンバーに加わることになったのです。


僕の、

ライター/編集者としての経験は

すべてここから始まったのです。


好洋さんと、

フルタニさんのお陰で、

道が開けたのです。


お2人は、

恩人なのです。


「あけましておめでとうございます」(1)で、

僕は、決意や展望を発表することにたいして、

抵抗があると書きました。


しかし、

その想いを遂行しているようでは、

ただの秘密主義です。


けれど、

抵抗し続けてきた僕は、

発表する機会を見つけることが

なかなかできません。


強度に、不器用になっているのかもしれません。


ともあれ、

伝えたいとの気持ちを具現しようとする心的変化が、

このblogを始めた一因であることは確かです。


とても回りくどい言い方になってしまいましたが。。


僕は

恩人である好洋さん・Kyoto Jazz Massive、

フルタニさんに、

恩に報いたい、との一心なのです。


ここで、やっと話が戻ります。。


フルタニさんから、

digmeoutでのDJイベント「CAP.NOTE」への

出演依頼をいただきました。


もちろん、

いちいち標榜はしませんでしたが、

集客も、選曲も、

少しでもご期待にお応えしたい、との気持ちで臨みました。


そのお陰で、

自分の中での

DJとしてのスタイル、プリンシプルが、

さらに深化していきました。


digmeoutは、カフェです。

ダンス・フロアは存在しません。

ということは、このイベントで選曲には、

踊らせることが主眼に据えられていないのです。


まず、

頭の中で

テンションが高い曲をハネていきました。


すると。。

未だ、選曲候補に残っている楽曲に共通する性質こそ、

僕が最も得意とするフィールドであることが判ったのです。


ダンス・フロアにおける選曲の傾向に比して、

僕のセンスが好物として捉えるトラックのほとんどは、

テンションが低いのです。


しかし、

そのテンションの低さというのは、

あくまで、フロアの尺度から測られた結果であって、

僕にとっては、

最上のテンションを有するトラックたちなのです。


ということは、

いわゆる、テンションが低い領域のみで打ち出す選曲において、

僕だったら、

さまざまなカラーリングを施すことができ、

さまざまな角度で魅せることができ、

もちろん、その範囲内でテンションの起伏を生み出すことも可能なのです。


編集における道しるべだけでなく、

DJの方向性を発見する機会を与えていただいたのも、

フルタニさんだったなあ。。


DJ後、

そんな気持ちでお茶していると…。


「『Freedom time』の

2nd FloorでのDJのオファーを検討中やで」と。


聞くと、

好洋さんの意向のよう。


また、お2人によって、道が開けていくなあ。。


書くことも、

曲を選ぶことも、

お2人の恩によって、

その表現の場を得ることができました。


そんな僕の使命は、

執筆と

選曲で、

価値を打ち出していくこと。


そのように確信しています。



ところで、

かなり長くなっています。。笑


ということで、まだ続きます。。笑



(「あけましておめでとうございます!(4)(結)」)