2011年8月16日火曜日

【回想】「クラブ・ジャズ喫茶[モア]Special」



(photo by Masaya Yoneda (anthem Photoworks))




突然ですが、
太陽を直視することは
不可能ですよね。


僕にとって、
Kyoto Jazz Massive
=沖野修也さん+沖野好洋さんとは
師であり、
希望であり、
羅針盤であり、
人生の教師であるのです。

すなわち、
精神面での行き詰まり、
肉体的な限界、
音楽探索における倦怠、
など
いわば人生における悪天候に
いつも光を注いでくれる存在=太陽なのです。

つまり、
“光源”なのです。


2011.8.12に開催の“Special”では、
そんなKyoto Jazz Massiveのメンバーである、
沖野好洋さんがゲストDJでした。

初めて遊びに行った
「Freedom time」@DAWN(現NOON)で、
この人たち=Kyoto Jazz Massiveのセンスのみを探求しよう(≠フォロー)
と決めてから、12年。

僕は
いつしかDJを開始し、
イベントをスタートさせました。

そして、
ついに、
我がイベント「クラブ・ジャズ喫茶[モア]」に
好洋さんがゲスト出演するときが
到来したのです。


Kyoto Jazz Massiveのほかにも、
執筆や生き方において
人生の教師と定めている人物がいます。

ただ、
それらの人たちは
すでに鬼籍に入っていたり、
物理的に離れているなどの理由で、
会う機会がないのです。

そんな中、
Kyoto Jazz Massiveのお2人には
イベントで顔を合わせることがあります。
会話も交わします。

その時点で、
ある意味、
特異な存在なのですが…。

今回は、
自身のイベントに来ていただき、
DJ=選曲をしていただくということで、
自分がどのような状態になるのか、
自身でも予測がつかなかったのです。


結果ーー
わからなかったです。

わからなかった
ということが、
後日、こうしてわかったという感じです。


初めて接する概念だったからでしょうか。
未経験の緊張を抱いたからでしょうか。
未知の興奮が全身を支配したからでしょうか。

すべてが
要因だと思います。

では、
なぜ、そうなったのか。

光源が
眼前にあったからです。

僕の
音楽面における歩みに
光を注いでくれる存在が、
僕が展開する音楽活動の場=「クラブ・ジャズ喫茶[モア]」
に、おられる。

輝きが激しすぎます。
明度が強すぎます。

もちろん、
比喩ですよ。

ただ、
こうして、
ゆっくりとイベントのことを振り返ったときに、
前半・後半という感覚はおろか、
“場面”という単位での記憶も曖昧であり、
“断片”でさえ、
記憶に自信が持てない状況なのです。

つまり、
見えていなかった、
いや、
見えなかった
ということなのだと思います。


普段は2基であるところを
4基に増設したスピーカーからは、
大きな音量が放たれていました。

オープンの20分後にはテーブル席が埋まり、
スタンディングのオーディエンスで満員になった会場には
未曾有の歓声があがっていました。

確実に、
平時よりも
大きな音が鳴り響いていたのです。

でも、
僕の胸中には
突如として休符がやってきて、
静寂が訪れることさえありました。

僕が抱く、
Kyoto Jazz Massiveへの敬愛の念は
あまりに真っすぐなので、
主観/客観といった意識/概念を超越することがます。

そのときは
周囲の音なんて関係なく、
静謐な空間に
ただ素晴らしい音律が放たれている、
というような感覚を抱きます。

それは
一幅の名画に見入っているときのような状態。

とにかく、
光源の近くにいると、
感動するのです。

それは、
教えられることで
築かれたセンスで感じ取っているのでは、
ありません。

希望に満ちた旭日を見たとき、
翌日の快晴を約束してくれる壮大な夕陽を目の当たりにしたとき、
広大な海を眼前に深呼吸するとき、
満点の星空を仰いだとき、
あなたは感動するでしょう。

それはなぜか。

“それらにふれたときは、感動せよ”
と教えられたからでしょうか。

違いますよね。

本能的な反応なのです。

僕が
Kyoto Jazz Massiveにふれるときにも
同じ現象が生じているのです。


“シビレエイは
なぜ周囲の生き物を痺れされることが
できるのでしょうか”

“それは、
シビレエイ自身が痺れているから”

という問答を経て、
“まずは汝自身が感動せよ。
すれば、周囲を感動に導くことができる”
と説法したのは…
たしか、ソクラテスだったのではないかと。

先哲が教えた方程式は、
時代/国籍/環境を超えて、
現今の日本でも通ずるものだと信じています。

Kyoto Jazz Massiveに感動する僕が、
他者にそのムーブメントを伝播できない訳がない。
そう確信しています。

音楽活動において、
同志だと感じる人物は存在します。

応援してくれる人、
イベントに足を運んでくれるかたも、
たくさんいます。

でも、
僕自身は
孤往孤邁の道を進んで行かん、
との信念にブレはありません。

そうであってこそ、
同志は賛同し、
お客さんも、
より信頼度を高めてくれるのだと
信じています。

ともあれ、
錬磨あるのみ。

我がセンスにのみ存在する固有の角度を、
ますます尖らせていきます。


当たり前のことですが…

光源の間近で光を放ち、
その色を見てもらうには、
固有のカラーが不可欠です。

だから、
光源=教師であっても
憧れではないのです。

光源=先生であっても、
僕はそのフォロワーではありません。

ただ、
想像とは思慮深い模倣のことである
との、
ボルテールの言葉は
僕に深い思索の時間を与えます。

孤往孤邁の
沈思黙考は続きます。。


さて、
「クラブ・ジャズ喫茶[モア]Special」での
好洋さんの選曲内容ですが、
もちろん、記憶している部分はありあす。

しかし、
今回、より深い興趣と共に感得したのは、
曲単位で味わう感覚ではなく
一編の物語ーー即興で創られるーーが、
同時進行で語りかけてくるような世界観です。

5時間を超える
超ロング・セット=“ストーリー”には、
多数の“役者”が登場しました。

様々な時代の、
様々な国の、
様々な趣の
役者が。

ですが、
統一感があり、
かつ意外性を孕み、
緩急自在の自由な気風は
一体何なのでしょうか。

まるで、
この日のこのときのために、
そして、
好洋さんに選出されんがために
制作された楽曲ばかりだと感じさせられました。

選曲された
すべてのレコード/CDに
“for Yoshihiro Okino”とのクレジットがあるのではないか、
そんな気さえしました。

好洋さんがDJする様は
音楽をプレイする
というよりは、
まさに
“物語を語る”
という印象を抱きました。

そして、わかりました。
音楽の概念が。

イスを引くときの音や
池に石を投じたときの響き、
シティーノイズなどの
あらゆる音が、
ある種の脅迫めいた観念の押し売りで
音楽と見なされる機会があったりしますが…
もちろん、
それらに音楽性が認められる場合はあります。
ですが、
何をもって音楽だと認めるのか、
曖昧模糊でした。

しかし、
それを選別する
明確な基準が、このときにわかったのです。

それは、
そこに信念があるかどうか。

そして、
そのことは
選曲によって
明らかになるものだと。


ところで、
クラブ・ジャズにおいては
抽象的なルール=常識に捕われた考え方
によって選曲が行なわれることがあってはなりません。

ネーム、レーベル、参加者…
などの、音源に関する諸要素について、
ビッグな内容が含まれているかどうかなんて、
常に度外視する評価軸でもって
築き上げられてきたスタイルからです。

ともあれ、
僕は、
アカデミックを気取るDJや評論家が、
アイデンティティ・クライシスに陥るような
センスを確立していく所存です。
(陥らせていかねばなりません。)

そのときに大事なのは、
場=世界の獲得
よりも
行為の獲得
を優先させること。

荷造りをするときに、
荷物をまとめる前に箱を準備することはありません。

まずは荷物を整理します。
そして、その大きさに準じた入れ物を用意します。

僕が知る場面だけでしょうか、
箱の準備や、そこを彩るゲストDJの選定に、
躍起になっているDJやオーガナイザーがたくさんいるのは。。

DJ=選曲者たる者、
順番の誤謬によるナンセンスは避けたいものです。

そして
行為を大切にすれば、
自ずと世界が構築されていくのだと確信しています。

そのときに
忘れてはならないのが、
オープン・マインドなスタンス。

・見えるものではなく、見えてくるもの
・聴こえるものではなく、聴こえてくるもの
といった、
単なる受動態勢ではピック・アップできない、
言わばーー“物語”に準えて言うならばーー“行間”に潜むメッセージ
を直感する姿勢です。


それにしても、
好洋さんは寡黙なかたです。

いや、
話はよくされますが、
その表現が直接的でなかったり、
やりとりを意図的に屈折させたりと、
話題の核となる部分についてーー自身のことも含めてーーは、
意識的に言葉を少なくしておられる気がしてなりません。


それに比して、
根拠のない憧れや尊敬を抱く者
つまり流行に乗ったり流行に逆光せんとする、
結局は流行の域を抜けぬ/抜けれぬ流行追随者に顕著な
局部的リンクの発見に安らぎや喜びを求める、都合主義がオシャレである、
との意識に
常に脳内が支配されている人はどうでしょう。

外的要素に振り回され、
単なるリアリズムへの仮想による、
非リアリズム=受動的エゴイストの感傷ごっこを
しているだけです。

こういう人は、
よく自分の私小説を吐露したがります。

その内容が安直なため、
つまり砂の上を歩いているようなものなので、
形がハッキリとしていて
振り返りやすいのです。

つまり、
そのことを話すのは
簡単なことなのです。


逆に、
自ら茨の道を進むことを選択し、
自身の手で何かを切り拓いている人物は、
ぺちゃくちゃと私小説を語りません。

いや、
語れないのです。

内容が不二であり、
その歩みは泥の中を進んできたようなもの。

振り返るにも、
それを表現しようにも、
時間を要するのです。


好洋さんは、後者です。

そのことが一因となり、
寡黙な側面=言葉が少ないシーン
があるのだと思います。

好洋さんは、
1990年に
実兄・沖野修也さんと共に、
ユニット・Kyoto Jazz Massiveを結成。

クラブ・シーンを築き、
そのなかでジャズの文化を確立された
アーティストなのです。


「クラブ・ジャズ喫茶[モア]Special」の
フライヤーや告知をご覧になったかた、
また当日先着50名のオーディエンスの方々なら
ご存知だと思うのですが…

今回は、
インタビューを制作しました。

普段もインタビューを行なっているのですが、
その手法はメール。

なぜなら、
発表する場がblogだからです。

アップする場所がblogということは、
ともすれば、文字の羅列となってしまい、
内容/ビジュアルともに
無機質なものとなる可能性を孕んでいます。

けれど、
メールを用いると
対象者の独創性が発揮されます。

メモ→文字起こし
録音→テープ起こし
という方法をとれば、
必然的に編集作業が強いられます。

なので、見方によっては
その際に対象者の表現が、
編集者によって画一化されます。

相手の声を文字にする時点で、
こちら=編集者の解釈が加わるからです。

あかい→赤い
あかい→紅い
あかい→朱い

文字が違えば、
イメージは随分と異なります。

(確認ですが、ここでは、
編集することの善し悪しを論じているのではありません。。)

ところが、
メールを採用したインタビューでは、
対象者が抱いているイメージが
そのまま言葉に反映されたカタチで文章が届きます。

たとえば、
United Future Organizationという
アーティスト名ひとつ取ってみても、
様々な違いが生じるでしょう。

このアーティストを初めて知ったのが
日本産のCDだったなら
“ユナイッテド・フューチャー・オーガニゼイション”
と表記するでしょうし、
友人からのクチコミガキッカケなら通称である
“UFO”
となるかもしれません。

そんな違いが、
より明確に表出し、
それらが味となって
みなさんに楽しんでいただければ、との想いから
毎度、
意図的に、すべてのDJに
同じ内容の質問を投げかけているのです。

と、
そんな感じで
メール・インタビューを制作しています。


なのですが…。
(話を元に戻します。)
今回は、インタビュー=紙で出力
をすることにしました。

その理由は、
まずは、容量です。

先述しましたが、
好洋さんは
僕にとって、音楽の教師です。

そんな好洋さん、
そしてKyoto Jazz Massiveのことを皆に伝えていく
という使命を
僕は(自発的に)担っているのです。


あの、四聖と呼ばれる人物
(孔子、仏陀、イエス、ソクラテス)でさえ、
その業績は、有志/弟子たちが伝承しなければ後世に伝わらなかったと
数々の歴史家が異口同音に述べているのは
周知の通りです。

語り、
書き、
歩くなかで、
その尊貴な存在は伝えられていったのです。

Kyoto Jazz Massiveに関しては、
僕が伝達せん
との想いを抱いています。

そんな、
我が胸中の決意を具現すべく
取り組んだ一つが、
インタビューです。

より幅広く、
より長い時間に渡って触れてもらうために、
紙で出力することを選択。

もちろん、
メールを用いた手法でも、一般的なインタビュー記事とは
ーー単なるQ&Aのみ、という構成でもーー
一線を画す内容にできるという自信が念頭にありました。

しかし、
より排他的なコンテンツにするため、
最新かつ独占的な情報を掲載したいと考えていました。

そこで思いついたのが、
チャートです。

「クラブ・ジャズ喫茶[モア]」
のコンセプトを介して選ばれた楽曲を紹介する、
というものです。


そんなアイデアとともに、
好洋さんを訪ねました。

すると、
表情や間合いから
瞬時に僕の真情を読み取り、
即答されたり、つっこまれたり、間を取られたり…
と、
イベントの質を高めるべく、
そして僕の能力を引き出すべく、
最高の対応を
即座に展開していかれます。

その様子は、
まさにジャズ。

相手との呼吸を常に意識し、
即興性を重んじ、
これまでにない高みを目指す行為は、
ジャズの演奏に漲る精神そのものです。

こと、
僕との“セッション”においては、
緊張感を齎せる指摘や助言がほとんどを占めます。

それは、
“このコード進行上でソロを演奏してみろ”
と言わんばかりの
即効性を秘めたアイデアを期待する端的なトークや、
僕が弾いたフレーズを耳にした後に
一瞬でアレンジを加え、
“こんな奏法もある”
と具体例を示されたりと、
方法論は様々。

緊迫した(させた)あとは、
こちらの演奏に、真摯に耳を傾けられます。

そして
それが、
直感を通じて、
首肯せる内容であれば
アンサンブル=討議を続行し、
僕のアイデアを活かした作品の完成にむけて
全力を注がれます。

そんな中で生まれたのが、
先着でプレゼントした特製CD「BRAZIL BY MUSIC」であり、
そこに封入した「ESPECIAL INTERVIEW」であり、
パーカッショニスト・松尾正寛さんの起用であったのです。


…と、書いているうちに、
イベントの数日前からの記憶が蘇ってきました。。


8月6日(土)。
パーカッショニスト・松尾正寛さん(以下・ヤモやん)の家で、
淀川の花火を鑑賞。
たくさん集った友人たちと談笑し、
そのなかで、“Special”での戦況の方向性が決まりました。

それは、
まだ、[モア]に遊びに来たことがない人からのオーダーで、
“リスニング志向”なサウンドが聴きたい
というもの。

皆が、
好洋さんの選曲はダンサブルな内容なるだろう
と予想したため、
その人は、
僕のプレイでは、普段のスタイルを味わってみたいとのこと。

そのようなオーディエンスは、
きっとほかにもいるに違いない
と確信したのです。

このとき、花火大会の鑑賞会に声をかけてくれていなかったら、
リスナーの気持ちを知る機会がありませんでした。
ハモやん、ありがとうございました。


8月7日(日)。
起床とともに、
強烈な悪寒が襲ってきました。

現在の体温計は、
短時間の内に予測値を算出し、
ピピッと知らせてくれます。

しかし、
このときは、その間隔さえ苦痛で、
すぐに液晶を確認してしまいました。

左から3、8、7…
えっ!?
数字が醸すショックが大きく、
飛び起きてしまいました。

この日は、
会場・MAMBO CAFEと、
ゲストDJ・沖野好洋さんがおられるESPECIAL RECORDSで
それぞれ打ち合わせをする予定だったのですが、
断念せざるを得ませんでした。


8月8日(月)。
病院に行くことさえも困難な状態だったので、
前日に、とりあえず薬を服用していました。
その効き目を実感できたので、仕事に。


8月9日(火)。
完全に回復していなかったよう。
この日ぶり返しは酷く、
体温は39度を超えました。
病院で診てもらうことに。


8月10(水)。
寝込む日が続きます。
36度〜38度の上下を繰り返し、
この間に頭痛、腰痛、咽喉の痛みが併発。
身体の疲労はピークに。


11日(木)。
朝イチの検温で
身体の温度が38度だということを知り、
“間に合わないかもしれない!ヤバい!”と、
逆にテンションが上がり、
異様に軽い足取りで、
9日に行ったのとは違う病院へ。

診察室では…
フライヤーを持参し、
音楽への想い、ゲストDJの偉大さ、
つまり8月12日の重大さを細やかに伝達。

「で、どんな症状なの?」
切迫感が強過ぎたのか、
病状を伝えることを忘れていたのです。笑

熱の高さを伝えると、
厳しいんじゃないか=間に合わないんじゃないか、と。

ならばと、
点滴を懇願。

すると、
おそらく、抗生物質のことを気にされたのでしょう。
しばらく黙考されました。
「イベントを開催できるのなら、副作用も本望です」と
僕が述べると、ささっと準備を開始。

容器いっぱいの点滴は、
50分以上にも及びました。

目が覚めると、
そこには先生の笑顔が。
「うん、いい表情。明日いけるよ」
「ありがとうございます!」
回復したことを実感する間もなく、
今度はサロンへ。

病床に臥していた自分と、
ビジュアル面でも一新したかったのです。

帰宅後、
アラームをセットせずに寝ると…
気が付けば、当日のお昼

高熱があるなか、
“テッパンだけでも”と
必死で集めた“[モア]クラシックス集”のCDホルダーが
助かりました。

それを、
1回目の出番にプレイすることに。

そして、2回目のための盤は、
アナログから選出。

一見して安心感を抱くジャケを
次々とピックアップしたのを覚えています。

そして、
増設用のスピーカーをまとめ、
レコードバッグを準備し、
会場に移動したら、すぐさまセッティングを開始。

まもなく、ハモやんが到着され、
フォトグラファー・米田くんもスタンバイ。

テスト・プレイを始めると、
友達が入店し…
「クラブ・ジャズ喫茶[モア]Special」がスタートしました。


僕は、予定通り、
1stセットでは普段のスタイルで展開。

好洋さんは、
22:30にブースに立たれると…
怒濤の超ロングセットを展開され、
27:40まで最高潮のテンションをキープされました。

その間に抱いた
感想、考察、思索は
その場では消化しきれず、
その後も、なかなか明確になりませんでしたが…
今は、冷静に捉えることができます。


2011年8月12日は、
僕にとって、
新たな原点となりました。

それは、
いつも応援いただいている皆さま、
MAMBO CAFEのスタッフの方々、
フォトグラファー・米田真也くん、
パーカッショニスト・ハモやん、
そしてKyoto Jazz Massive・沖野好洋さんのおかげです。

ありがとうございました!!