2011.3.11以降、
混迷の度は増すばかりです。
その対処として、
“自粛”はいかがなものでしょう。
明確な理由なき自粛は、
単なる“停滞”なのではないでしょうか。
特に、なにも起きていないように見えて、
地球は回り続けています。
特に、なにも変化していないように見えて、
人の心・身は変わり続けます。
その中にあって、
自粛=停滞とは、どんな意味を成すのでしょうか。
停滞は停滞でも、
動いている中、変化している中での停滞ーー
そう、それは後退なのです。
こんな時だからこそ、
動くことが大事なのです。
これほど、
生きる意味が強く、
生きる意義が深いと感じることが
あったでしょうか。
その中で、
「自粛 [名](スル)自分から進んで、行いや態度を慎むこと。」
(出典:大辞泉)
は、
生きることへの冒涜とならなないでしょうか。
ともあれ、
僕は、ますます動きを加速させていかねば、
と思っています。
そんなとき、
座右にあるメモが
励みになります…。
◆
1930年代のアメリカは、大不況に喘いでいた。
そんな中、ジョージ一家は、カリフォルニアへに移住を図る。
しかし、いざ出発するのときに、
父親は「できるだろうか」と弱音を吐く。
それに対して、母がきっぱりと言った。
「できるかっていう問題じゃないよ。そうするかっていう問題だよ。
できるか?っていうことになりゃ、あたしたちにゃ、なんにもできやしない。
(中略)だけど、するかっていうことになりゃ、なぁに、あたしたちはしようとすることをするだけのことだよ」
(スタインベック著「怒りの葡萄」より)
◆
とにかく、
し続けよう、
そんな想いです。